山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

お待たせ!(誰か待っていたのか?)

じゃあ「黄色い大地に立つ野心満々の男=チャン・イーモウ」の話しはどうなったのか?
言いたい事はイッパイあるんだけど、こんなにも「最初の頃と今の印象が違う人」も珍しい。
勿論、それが(本人によって)「作られたもの」(=イメージ)である事に変わりはないんだが。

最近、NHK-BSでチャン・イーモウの新作映画「単騎、千里を走る」のメイキング番組を見てたらその中で、文化大革命(の最中に青年チャン・イーモウは農村に下放され、労働していたらしい)の後、大学に入ったチャン・イーモウが、明らかに西洋文明に毒された(!!)とおぼしきサングラス姿+上半身裸の写真が紹介されてて、「なんだ、本人の資質は昔から変わってないだけジャン」と気がついた。
昔からミーハー。昔から野心満々。昔からイタイ人…

いや、好きなんですよ、チャン・イーモウ
どのくらい好きかっつーと、彼の主演作「テラコッタ・ウォリア」は「ワシの人生において最もリプレイされた映画の一つ」であるくらい、好き。
もっともチャン・イーモウ自身は「テラコッタ・ウォリア」に主演していた過去をつい最近まで抹消していたが…
(今、wikipediaで確認したが、やっぱりココでも「テラコッタ・ウォリア」については言及されていない)

なんの陰謀なんだコレは!?
やはり、チャン・イーモウのイメージ戦略にそぐわないってのが「過去を抹消」の最大の理由なんだろうけど。

もともとはチャン・イーモウ北京電影学院撮影学科に入学した後、1982年に卒業、1985年に西安映画製作所に配属された。
チェン・カイコーのもとで(「黄色い大地」=かなり名作_などの)撮影監督を務めて、 1986年には呉天明監督の『古井戸』(古くさいけど面白い映画だった)では映画にも主演している。
そして映画監督としてデビューするのは、 1987年に『紅いコーリャン』で。
この作品はベルリン国際映画祭金熊賞を受賞。
紅いコーリャン」は日本でも劇場公開され、物見高いワシはすぐに劇場に足を運び、その表現の野太さにすっかり舌を巻いた。

この辺りの時系列をちょっと整理してみよう。
黄色い大地」(1984/中国)
「大閲兵」(1986/中国)
「古井戸」(1986/中国)
紅いコーリャン」(1987/中国)
「ハイジャック 台湾海峡緊急指令」(1988/中国)
テラコッタ・ウォリア/秦俑」(1989/香港)
「菊豆〈チュイトウ〉」(1990/日=中国)
ありゃま(明日に続く)