山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

小池真理子を叩くワシ

…あのですね?ヨカですか?<九州人が「言いにくい事」を言う時に切り出す言葉の典型。と言うか、「紋切り型」ってやつ?
さて、紋切り型で思い出した。
最近、小池真理子作品を読んで怒髪天になる自分で遊んでいる。
とにかく、この人の近年の作品の凋落ブリは凄まじいものがある。まるで「女ズンイチ(渡辺淳一)になっちゃった?」という感慨をモツほどだ。

ワシは実は「女は子供を持って一人前」とかそーゆー事は人前では言わないようにしようと自分を律して暮らしているが、この人を見ていると、「やっぱりクリエイターであればこそ、子供を産んで、せめて他人の子でイイから我が子のように一心に育ててこそナンボだよなあ」と感ぜずにはいられない。
だって、めっちゃ「女として半人前」なんだもん>小池真理子

なんというか、コドモなまんまでオバアチャンになりつつあるのって、ハタから見たらかなり不気味よお。
まあ本人は「永遠に少女のままで(そして恋愛の現役でも)いる素敵な私♪」とか思ってそうだが、いやー、そういうのが単純に気味が悪いっつーのは前述の大原麗子@ドクロを抱いて脳髄を啜る鬼ババアがごとき栄養ドリンクを両手抱えのポーズでチュウチュウ_と同様であって、「鏡見ろよー」と言いたくなる(まあ、本人の目には色んなマジックフィルターがかかってて、単純に「見えてない」ダケなんだろうが…)

それと特に最近の小池作品でイタダケナイのが「紋切り型の多用」である。
まるで自分の才能の枯渇を誤魔化すかのように、いわゆる「紋切り型」の定型が多用されている。
これって作家として_というかクリエイターとしてどういうつもりなんだろう?
純粋に悩んじゃって、首をかしげ続けて首が痛くなっちゃったじゃないか!

もうナニが腹が立つって、「めくるめく」なんて表現が堂々とイマドキの小説に書いてあるなんて、信じられませんわ!
「オマイは昭和のエロ小説家かよ!」と思わず読んでいた本を床に叩きつけそうになりました(でもワシは図書館の本を床に叩きつけるような非常識な事は致しませんわ、ええ!)

いや、読んでいたのは「狂王の庭」なんですがね。
ルードヴィッヒ2世をモチーフにするんなら、彼の胎内回忌願望とマザーコンプレックスやら自分の同性愛的な嗜好への悩みとかそーゆーのを同時に書かねば片手落ちだろう?とか思うのだった。
…ホント、大きなお世話。