山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

11月は逢魔が月 その4

Nさんというのは、実は親戚でも何でもない「知り合いのオジサン」に過ぎない。
亡くなった義母が少女時代を一緒に過ごした女性(以下N夫人と記す)の旦那さん…というダケの関係。
このN夫人という人は、義母の少女時代から、「お姉ちゃん」と慕ってくれた女性で、似たような境遇にある義母と仲良くしていたという…なんか話だけ聞くと、「ソレだけ?」みたいな繋がりのお方なんだが…まあ、そんなお方の配偶者と言う方で>Nさん。

義母が亡くなった時も、冷たい親戚達の中でタダ一人、ウチのダンナに話しかけてくれて、色々と心の籠もった言葉を掛けてくださった方である。
いわゆる、「無法松の世界」なお方で(と、ワシが勝手に思っているだけで、実際は「無法なんてトンデモナイ!」という感じの方だが、いわゆる、「小倉生まれで玄海育ち、言葉も荒いが気も荒い」__「デモね♪」という雰囲気の方である(映画「無法松の一生http://cinema.intercritique.com/movie.cgi?mid=2148を見てない人にはナニガナニヤラな話しである)

「いやあ、北九州には立派な男が居るものだ」と長年にわたりNさんには畏敬の念を送っていたワケであるが…
義弟がコンナ事になって(ってまだ自殺したって決まった訳じゃなかったけど_この時点では)、頼めるような人はもうNさんしか居なかったのだ。

ダンナがNさんに事情を話すと、
「オレも義弟君の事はずーっと気になってて、いつも家の下を通る時は明かりはついているか?洗濯物は出ているか?とチェックしていた所だ。今はもう仕事も退職してヒマにしているけん、今すぐ見てきちゃろう!」と力強く言ってくださった。
ありがたくて涙が出る。

ダンナは午後から仕事で動けるのは夕方以降になってしまうのだ。
子供たちもコレから三々五々帰ってくる所だし、今すぐ90キロ離れた義弟宅に訪ねて行って。無事かどうかを確認できる、動ける家族が居なかったので、このNさんの申し出はものすごくありがたかった。

「すいませんがお願いします。仕事が終わったら私もスグにそちらに向かいます」とダンナは言って電話を切った。
すると、ものの40分もするとスグにNさんからコールバックあり、
「近所の人に話しを聞いて回ったが、3日前に義弟君を見かけたという人が居た。家には鍵がかかっていてチャイムを鳴らしても返答が無い」との事だった。