山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

色んな怒りや悲しみ

その住職の言い草が酷くて、すっかり気持ちが参ってしまった>ワシら夫婦
曰く、「葬儀も四十九日もヤラナイなんて、後々、オタクの家系に困った事が起きても知りませんよ」とかなんとか。
まーさーかー、坊主に恐喝されるとは思わなんだわ、ワシ!(爆)
そして更に住職は言う。
「天寿を全うして満足して死んだ方はそうでもないでしょうが、自殺となると、この世に残した未練も大きくて、怨みと言いますかね…残された思いが大きいものです。その為にも葬儀や四十九日をするのです」

…知らんわ、そんな事。
っていうか、とりあえず、「天寿を全うして満足して死んだ人の葬式なんか出した事もナイ」もーん!

義母はガンに侵されながら、生まれたばかりの長女を見て、「この子がランドセルを背負うようになるまで生きていたい」と何度も言った。
でもガンの進行は速くて、死が彼女を瞬く間に捕らえた。
その時、死の床で義弟は言った。
「だって、奇跡が起きてお母さん、明日にでも突然治るかも知れないじゃん。元気になる事だってあるよ。家に連れて帰って、家でお母さんの面倒見ればいいじゃん」

ワシは実はこの瞬間に義弟を見限った。
(つまり、モルヒネも無い我が家で、乳飲み子を抱えたワシにガン末期患者を看ろと言うのだ)
全身に癌細胞が回り、腎臓も冒され、尿毒が脳に回って恐ろしい幻覚や夢を見続けて苦しんでいる義母の枕元で、義母が最も愛し、慈しんで育てた筈の男はこんな事を言う。

いつまでも自分しか見つめていない、自分だけがこの世で一番大切な男。
心底、ぞっとした。
この時の怒りをなんと著せばいいのか、実は未だにワカラナイ。

思い出すのは手術の前。麻酔をかける寸前まで、義弟を待ち続けていた義母の姿。
「コーチャンはまだかね。コーチャンはなんで来んのかね」
なんて事は無い。
義弟は義母の二度目の(命を懸けた)大手術の日だというのに、ノンビリ朝寝を楽しんでいたのである(流石のダンナもコレには怒り狂った)
でも、義弟は言った。
「だって目覚ましが鳴ったのに気がつかなかったんだもん!」

「この人には何を言っても通じない」と感じた瞬間であった。
入院費用も手術費用も一円も払わなかったこの男は、勿論、葬儀費用もお墓のお金もお坊さんへのお礼のお金も、仏壇の費用も、その後の法要一切にかかったお金は一円も出さずに、文句だけを言い続けて、爆弾みたいな借金だけを残して自殺した。