山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

親でありたいワシ

今回の事件で、ナニが一番ボディブローが効いたかというと、子供が泣いて「お願い、やめさせないで」と懇願するのに、子供が好きな習い事を全部辞めざるを得なかったっつーのが一番イタカッタ。

元はといえば、全部、せちたろーがワルイのだが。
去年からの約束をまた破って、またワシらを裏切った。
もうとうとう腹に据えかねて、以前から言ってあった、「ペナルティ」を課すことにしたのだ。

もう、子育てはホントに疲れる。
自分の手を汚さなければナラナイ瞬間が来ることがある。
本当のことを言えば、自分の子供だから大切にしたい。出来れば甘やかせておきたい。大事に大事に猫っ可愛がりして、掌中の珠にして、蝶よ花よと育てたい。
その方が親も子も甘やかで、気持ちがいいに違いないから。
絶対に親自身が傷つくことはないから。

でもそれじゃイケナイ瞬間は来る。必ず。どんな「良い子」にも。
そこで自分が傷つくのも恐れずにどれだけ心を鬼に出来るかが、自分の親としての有効性を試される時だと思う。

もう、なりふり構わず、剥き身のままで、肉弾戦を強いられる時が必ず来る。
人間を育てるのは大変だ。
真剣勝負で全身全霊をかけなければならない時だってある。自分の全知識、全体力総動員での援軍無き戦いという面もある。

そんな時、ただ願うのは、自分が血まみれになって、泥を噛む瞬間が来ても、勇気を持って自分が「親で居ることが出来ます」ように。
子供のことを愛しているのだから、自分が傷ついても、親であることをやり遂げられるだけの勇気を常に持って居られますように。

この前、銀行の用事があって、子鬼の幼稚園前で信号待ちをしていた。
クルマの中から園庭の様子がよく見えた。
カラー帽子にスモック姿の園児が沢山、チョコマカと園庭を走り回っていた。
思わず、子鬼の姿を横目で探しながら、
「子鬼の姿を実際に見つける事が出来なくても、この集団の中に彼女は確実に居るのだな」と思ったら、幸福感にどっと一気に胸を突かれた。
この煌めく一つ一つの命の中に、自分の子供が現に居る。
姿は見えないけど、確かに居る!というのはとてつもない「金持ち気分」であった。

ブランドのバッグを持っているより、別荘を持っているより、「自分の子供」を持っているというのはなんという幸せだろう。
幸せ過ぎて、涙がにじんだ。