山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

何がラッキーになるかは後で分かること

朝から大雨。
ダバダバと雨樋から雨水が溢れて落ちるくらいの大降り。
しかし、焼き上がった玄関皿の発送があるので出かけねば。
娘二人に、
「出かけるけど」と声を掛けると、二人は『学校の怪談3』を夢中になってみていて、「いってらっしゃい」と答える。
つまんないの、ちえ?。

荷物を持ってお出かけ。宅急便の営業所で送り状を書いて、スーパーへ移動。
お昼ゴハンを買って袋詰めしていたら、すぐ傍にせちたろーの同級生が居た。
障害がある男の子である。
入学当時は喋ることも走ることも出来なかったが、今は走れるし字も書ける。

お母さんと買い物に来ていて、膨らました買い物袋を振り回して遊んでいた。
周囲の人達の彼を見る目が冷たいのに愕然とする。
明らかに、「迷惑だな」「うるさいな」という目で見ているのだ。
いつから日本人はこんなに不寛容になったんだ?

せちたろーは入学当時から同学年に障害がある子が複数名居て、しかも一緒に授業を受ける事も多いせいか、自然に接する。
世話を焼いたり、遊んだりが普通に出来る。
せちたろーもオトナになったらこんな風に、「障害がある人は世間の迷惑」「足手まといなヤツ」みたいな目線を送ったりするんだろうか?
ソレはイヤダ。

きっとこの「迷惑だな」「うるさいな」の視線を送る人たちは、目の前で小さなよちよち歩きの子が転んで泣いても、「ジャマだな」くらいにしか考えないんだろう。
コレが「心と体が冷えている状態」なんだろう。
「心と体が冷えると、脳も活性化しないんだよ」と言ってみる。

お昼過ぎ。雨が上がったので、ボイスの散歩。
風は涼しいが、湿気が凄くて汗ばむ。
いつも陶芸に行っている重度障害者施設の周囲をボイスと、ぐるりと回る。
「プップ」とクラクションが鳴るので見ると、陶芸の先生(実は高校の後輩)が町にお出かけする入所者の人をバスに乗せて出かける所であった。
手を振って合図する。

せちたろーもこの施設に3歳の頃から通っていた(ワシの陶芸についていって)
重度障害者の施設では子供が珍しいので、無条件に皆さんに可愛がられて育ったのだ。
作業所に出かけていって一緒に博多人形に彩色する作業をヤッテ(勿論、焼くのに失敗した人形を使って)は、自分も働いている気になっていたなあ、せちたろー。
沢山の他人から可愛がられて、障害がある人からも可愛がられて育ったのは彼女にとってラッキーな事だったんだろうと思う。