山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

『M』

やっと一日空いた日が出来た。
今週も忙しい(いつになったらヒマになるのだ、ワシは!?)
週の中休み。ボイスの散歩もダンナに行って貰って、ワシは一息つく。

幼稚園に子鬼を送った後、産直食材販売店に行く。
キャベツとレタス、玄米パンを買う。
夕飯用に小エビとコンニャクも購入。
イノシシのその子チャン(この店の横手の農園入口で飼われている)を久しぶりに見る。
巨大化していて檻にイッパイイッパイになっていた。
「そろそろ食べ頃か?」
先代のその子ちゃんも「檻イッパイ」の大きさになった途端に「消えた」しな。

家に帰って某掲示板で「シネスケ=馴れ合い村だね」との意見を読む。
まあ、そーいう人も中にはいるかもしんないけど。大多数は違うと思うゾ>ワシ。
で、何人かのコメンテーターさんと「馴れ合い」と「親しい」の定義の違いを検討する。
そこで出た、ワシなりの結論は以下の通り。
「馴れ合いは、腹にイチモツありながら表面上は仲良しを演じている状態」
「親しいは、お互いが思ったことをバンバン面と向かって言ってしまうがソレを許し合える状態」

実はワシは『鉄道員(ぽっぽや)』も『カイロの紫のバラ』も『ムーラン・ルージュ』も嫌いな映画である。
しかし、ソレを「大好き!」と言ってハバカラナイ某コメンテーターさんとも親しくさせて頂いている。
「その映画を好きだからと言って、もしくは嫌いだからと言って、ソレがその人個人のパーソナリティを貶めるモノではないはずだ」という考えからの結果である。
幸いにしてその方は、ワシがどんだけその映画たちの悪口を言っても許してくださるし。

つい先日も、
「『ムーラン・ルージュ』はアレだな。パリが舞台なのにパリの香りがシナイ映画だな。どっちかってぇーと、コアラ臭がするな」とかいうワシの暴言を笑って聞いてくださった。
受けてくれてアリガトウ。
でも、ホントにワシの口が悪くてゴメンナサイよぉ?。
いつも「スマナイ」とは思っているのだよ。
しかし、とりあえず、「腹にイチモツ」は全然ナイよ。コレはホントだ。

夕方、『M』(フリッツ・ラング監督/1931年)を観る。
サスペンス映画を観て、胸がドキドキするなんて、ホントに久々の経験!!
あまりの演出のモダンさに口がアングリと開く。
口笛が奏でる「ペール・ギュント」のメロディ。『エンジェル・ダスト』(石井聰互監督)の元ネタはコレかぁ!!