山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

赤ちゃん言葉を話さない母

「いやぁ?ん!散歩に連れて行ってー!!」と泣き叫ぶ子鬼を振り切って、走ってボイスの散歩に行く。
今朝は忙しい。
犬車で散歩に行くとどうしても1時間はかかってしまうので、手短にミドルコースを駆け抜ける。

ボイスも昔はハルティ(引っ張り癖矯正用口輪)を装着してたくらい、引きが強い犬だったが、今は特別変わったコトがなければ、引っ張らない犬になった。
変われば変わる。
昔はこのコワモテが口輪つけて歩いているから、
「噛むんですか?この犬?」と怯えて訊ねてくるヒトもいたけど。
「よほどのことが無ければ噛みません」がホントのトコロ。
正月に実母を噛んだけど・・・←思い出して凹む。
流血するほど噛んだのはアレが初めてだったので、オドロイタ(詳しくは2002年正月の帰省日記参照)

30分で散歩を切り上げて、家に戻ると、子鬼がダンナにビデオを見せて貰いながらワシを待っていた。
「もう、泣いちゃったじゃんかー!」とワシの顔を見て文句を言う。
「ゴメンね、もう出かけなきゃイケナイ時間だったから急いでいたの」と言い訳するワシ。

そう言えば、この前、せちたろーに
「お母さんってどんな赤ん坊に話しかけるときも、大人の人に話しかけるのとおなじ口調だよね、ナンデ?」と言われた。
子鬼が赤ん坊の頃から、いや、せちたろーの時だって、泣いているのを慰めるときもイチイチ状況を説明&解説していたな、ワシ。
いや、単純に「赤ちゃん言葉」が嫌いって理由なんだけど。
犬には赤ちゃん言葉で話しかけているんだけど(爆)

きっと赤ちゃん言葉には「愛情の押しつけ」というか「愛の支配」みたいなモノが同居していると、自分で(なんとなく)感じているセイなんだろう。
「ヒトvsヒト」の場合は「愛の支配」は後ろめたさに繋がるが、「ヒトvsイヌ」の場合は「楽しいばっかり」だから良いのだ。きっと。

愛車フィフィで図書館行き。
「日活ロマンポルノ全史」という本を借りて来る。

ワシは世代的にもほとんど接点がない>「日活ロマンポルノ」
桃尻娘』と『痴漢との遭遇』を大学の学園祭で観たくらいか?
最近、古い邦画を観る機会が多く、その素晴らしさにココロを打たれることが多いので、「チョットこの辺りも勉強しておこう」という気分。
名作が多いと言われ、評価が高い作品も数多く存在するし、観る機会がどれくらいあるかワカラナイが、一応、知っておきたい。
鑑賞希望作品は『マル秘めす市場』