山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

GWは帰省中・二日目

ご招待を受けたので、お嫁さんのよりチャンの実家へ遊びに行く。
彼女の父上は元・小学校校長。
今は定年退職して、何故か農業をなさっている。

阿蘇雄大な外輪山の内側(つまりカルデラ火口の中)で奥様と暮らしてらっしゃる。
牛を放牧しているのでソレを見にいらっしゃいと言われ、「ホイホイ行く動物好きの一家」(ウチ)

牛の放牧場は阿蘇の中岳(噴煙を上げている活火山)の裾野、米塚(という名の山・プロモビデオなんかで撮影によく使われている)のま下。
軽トラックで放牧場へ行き、クラクションを鳴らすと「ウチの牛だけが寄ってくる」状態。
「ひとんちの牛」はしらんふりしている。クラクションを聞き分けて寄ってくるらしいのだが。
どうやってしつけたのだろう?ワシには謎。

ラクションの音を聞きつけて「肥後の赤牛」(日本古来の在来種・赤毛牛)がゾロゾロやって来る。先月生まれたばかりの子牛もちゃんとついてくる。
小屋で餌を与える。
ココの牛は基本的に一年中「外飼い」らしい。
厳しい寒さの中飼うと「強いイイ牛」になるって。

ボイス、牛を間近に見て「目が狂う」
危ないので牛には近寄らせなかった。
その後、馬も見て羊も見る。
ボイス、いよいよ「目が狂う」
こんな阿蘇の原野にボイスを離したら、多分、「帰ってこない」
そのまま「日本オオカミ」になっては困るのでリードは放せなかった。

よりちゃんの実家で鶏を見てちゃぼの卵を貰って、(ワシの)実家に帰る。
阿蘇の外輪山の内側に下りるのは、実に十数年ぶりだった。
よりちゃんは「中岳の火口に近づいたのは人生で二度目」と言うし。
「地元人はこんなモノ」なのかもしれない。

?よりちゃん父上に聞いた話?

昔、阿蘇の小学校では彼岸の日に「お参り」と称して、中岳火口に遠足に行っていた(山岳信仰の名残か?)
戦前は道もなく、放牧場を突っ切っての登山だったらしい。
トコロが帰り道、茅(かや)の原に分け入ってしまって道に迷い、草鞋のひもは切れるわ腹は減るわで遭難しかけたらしいのだ。
夜になり、里の灯りがチラチラ見えて、ソレを頼りに下山した経験があると。
スゴイ。漱石の「二百十日」の世界だ。

今は登山道はおろか立派な道で車でスイスイ。
もっともこの日は観光客で大渋滞であったが。
(ワシらは畜産組合関係者以外立入禁止の放牧場の中の道を走ったので関係なかったが)