山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

陶片拾いに海岸まで

ボイスにベビーカーをひかせて海まで散歩。
丁度引き潮で、砂浜に陶片が打ち上げられていた。
皿の底に呉須の染め付けがされた陶片をいくつか拾う。
松の絵、山水画、打ち出の小槌の図柄。
なんだか、オメデタイ絵柄のモノばかりで嬉しくなる。

拾う陶片のウチ、一番アリガタイのはナンと言っても「古伊万里」と呼ばれる手書きの藍色の模様入り(染め付け)のモノ。
長年(ひょっとして数百年?)海で揉まれて、浜辺に打ち上げられた陶器は、その色味や肌合いがとろっとした何とも言えない風合いに変わっている。
新品のつるつるピカピカの冷たい磁器の肌合いとはまるで違う。
砂と波で磨かれた、柔らかなニュアンスがある。
陶片だから、図柄も全部が見えるというワケではないが、一部であっても、「どんな模様だったんだろう?」と想像するのは楽しい。

次にアリガタイのが「こんにゃく版」と言われる、こんにゃくを手彫りして、ソレを版画状にして陶器の表面に模様をプリントしたモノ。
何とも言えない(模様の)「エッジの甘さ」に味がある。
本日はその両方を拾えた。
フード付きのパーカーの両ポケットは陶片でズッシリ重たくなる。
まるで、たんたんタヌキの●●のようにふくれる。

人に教えて貰って気がついた。
本日、日記を始めて一周年であった。
「試しに始めてみっか」とナニゲに始めたモノだが、こんなに続くとは!自分でもビックリ。
しかし、読者数は開始時より大して増えもせず、減りもせず。
おかげさまで、ある一定のカルトな(?)人気をイタダキながら、日々、更新中。
「自分の日記を人に読ませる」という距離感が、ようやく最近分かってきたか?という感じ。
今、最初の頃の日記を読むと、この「距離感」を掴みかねていて「結構生々しい感じ」がする気がする。
恥ずかしい。
こんなワシですが、これからも、ヨロシク。

せちたろー、成績表を貰って帰宅。
相変わらず、見事な成績。
朝から「かけ算の筆算を最近やってなかったから、やり方忘れた」と言って泣いていたのに。ヘンだな。

担任の評価も「創作の物語がとても面白くよく書けていました」と書かれていた。
先生も楽しんだ?

午後、NTTのセールスマンが来る。
ボイス、ちょっと撫でられて嬉しいモンだから、仰向けになって股開いて、「さささ、ココもね♪」のセクシーポーズをとる。
「この犬、見た目と性格が違いすぎますね」セールスマン言う。
悪かったね。