山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

19歳・29歳のせちたろー

?せちたろーが今朝方見た夢?

せちたろー、10年後の自分に会いに行く。
行ってみると、ソコは大学。
沢山のお姉さん達がいるので、どれが自分か全然分からない。
「困った?」と考えて、近くを歩いていたヒトに「サイトウせちたろーさんは、どの人ですか?」と訊ねてみる。
すると、「あの人よ」と教えて貰った先には、「学内で一番美人だ」と思って見とれていた、背が高い綺麗なお姉さんの姿があった。
「あぁ、アレが私の10年後の姿なのね!と思うとものスゴク、嬉しくなったの」(せちたろー談)
ふふふ(^-^)

次は、20年後を訪ねるせちたろー。
せちたろーは結婚して子供が二人いる。
猫を二匹と犬を一匹飼っている。みんな仲良く暮らしている。
「どんなヒトと結婚したのか知りたかったのに、出かけているらしくて旦那さんは留守だったの。夢に出てこなかった。残念」(せちたろー談)
うむ、母も残念。

で、次に9歳のせちたろーは、「20年後のワシ」(お母さん)に会いに行く。
せちたろーは「過去から遊びに来たの。9歳のせちたろーよ。お母さん」とワシに言う。
60歳のワシは「相変わらず、若々しく綺麗で元気そう」(せちたろー談)で、9歳のせちたろーを見て「あぁ、ホントだ!9歳のせちたろーだ。久しぶりだねえ。よく遊びに来てくれたね。嬉しいよ。ゆっくりして行きなさい」と言ってせちたろーを抱きしめる。
「それで2?3時間一緒に遊んだり、お茶を飲んでお話ししたりして、無事、今の時代に帰って来たのよ。長い夢だったけど、すごく楽しかった!!」(せちたろー談)だって。
ホントに、20年後に9歳のせちたろーが遊びに来てくれたら、嬉しいだろうな。

実は、ワシは普段「子供の将来の姿をなるべく想像しないようにして暮らしている」
ソレは「子供の将来は子供自身のモノである」からであり、ワシ自身が夢見たり想像したりすると、束縛や支配、ある種のコントロールへと繋がるような気がしてならないからだ。
親は「過去の家に住むモノ」子は「未来の家に住むモノ」である。
「過去が未来を夢見ることは許されない」と思うからなのだが。
「ただ、育てる今という時間にこそ喜びがあればソレでイイ」と割り切って育てているつもりなのだが。
こーいう素敵な夢の話をその娘自身から言われると、ワケもなく涙が出てくる。
ソレはやはりワシ自身が娘の将来のシアワセを、ナニヨリも心から祈っているからに他ならないからだ。