山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

映画は基本的に監督のモノ

朝、「ものすごく喉が痛い」
どうやら、一昨日ダンナが言ってたのと同じ症状。
感染(うつ)されたらしい。ちっ!

閑話休題

話題の「感じが悪いBBS」を読んでいて思うのだが、みんな、「自分が一番頭がイイ」と信じて疑わない人たちなのだ。この人達って。
大阪弁を操る「BBSゴロ」みたいなキャラクターまで登場して、アヤシイ人物が跳梁跋扈する世界。やだねー。
しかし。
それなら、ワシも「自分が一番頭がイイと信じて」(笑)コッソリ、この日記で自分の意見を発表しちゃおう!
(↑問題のBBSに書かないところが小心者)

誰も言わないが、ワシは気がついちゃった=「実はよく似ている『グラディエーター』と『ダンサー・インザ・ダーク』の世界観」

かたや、「男一匹ローマ皇帝にタイマン勝負を挑んだ男の物語」こなた、「盲目の母が息子に捧げる無償の愛の物語」
話を要約するだけなら、「こんなにかけ離れた物語もナイ」筈なのに・・・
ワシは両方を見た後に、「なんて似ている話なんだー!」としみじみ思ったのだ。

何故なら、先ず「グラディエーター」は、紀元前後のローマ市街をCGで再現してみたかった。
出来れば、なるべく大げさにカッチョヨク。
ついでにソコで「(この風景によく似合う)男気に溢れた物語を語ってみたかった」
・・・のだと思う>リドリー・スコット監督。

「ダンサー・インザ・ダーク」はこの不世出の歌姫・ビョークの存在をフィルムに残しておきたかった。
出来れば、監督自身が提唱し始めた「ドグマ95」(撮影方法に様々な制約を課した映画表現の一つ・人工的な照明やギミック無しでの撮影を要求する)の手法を使って。
そしたら、ついでに「自分の名前も永遠に記録されるかな??」と思った
・・・・のだと思う>ラース・フォン・トリアー監督

つまり、ドチラの監督にとっても「物語」や「俳優」は「自分の表現の手段」「コマ」でしかないトコロが「とても似ている」のだ。
監督の思惑を表現するために、ちょっとした無理を丁寧に細心の注意をはらいながら、「ソウとは観客に気づかせないように」全ては監督の思い通りに進められて行く。ってトコロが。

しかし勿論、だからと言って、この両作品を「面白くない・くだらない」とワシは貶めて言っているわけではナイ。
とても、楽しめる。納得のいく野心作である。ドッチも。
本来、映画とはそーいうモノなのだ。
そうシミジミと考えさせられた両作品だった。