山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

打倒「ぽっぽや」・ロマンチックおぢ撲滅作戦

個人的なウラミがあるワケナイが、色んな問題を抱えた映画だと思った>「ぽっぽや」
まず、あの「劇中劇」のような俳優陣の演技。
「コレはウソですよ。作り事なんですよ。メルヘンなんですよ」とひっきりなしにエクスキューズを垂れられているような気になった。
お人形か雑誌の切り抜きのような登場人物たち。
誰にもシンパシーを感じられナイ&リアリティがナイというトコロが、まずスゴイ。

コレは原作に忠実な映画化なのだろうか?
だとしたらこの原作者、結構「ブライアン(ウチでは「無頼モノ」をこう呼ぶ)なヒト」だ。
ワガママ勝手放題、自分の思うサマに子供のように純粋無垢に生きるのは実は「無頼」意外のナニモノでもナイ。
なのに、自分はヒトに慰められて癒され(!)たいと願っている、そんなズルイ「慰撫願望の強いオヂさん」の匂いがプンプンする。
ナンダカ見ているウチにフツフツと色んな怒りが湧いて来た。
自分の実の娘に口移しでコーヒー牛乳を飲ませて貰いたいって本気で考えるオトコはイナイ。
いたら、変態。
コレで浅田次郎氏には子供が(少なくとも娘は)イナイのでは無かろうか?と感じた。
「子供の存在自体がメルヘン」なのだ。この「ぽっぽや」の世界では。

自分を振り返ってもご覧なさい。
自分はその花のような年頃の娘にニキビ面の高校生の頃「ご無体なコト」を働かなかったか?
ご無体なコトした相手の、顔も名前も忘れてしまっても「猫のタミコ」だけは忘れナイか(爆)
なんて「ボクちゃん」なオトコなのだ!

人生においての「大切な局面」を全て見捨ててしまっても、「ソレが仕事だったから」とイイワケして済んでしまえたこの「戦後の経済成長」
仕事人間の息子はフリーターになり、退職金貰ったら妻から熟年離婚を申し渡される。
フツーのおじさん達には、老齢の親の介護をしてくれるための新しい嫁が離婚後、たったの5日では現れないのが社会一般の常識だ(アレ?)
ワシはナニを言っているのだ?
つまり、そんなご無体を続けてきたおじさん達を慰める映画だ。コレは。
「いいんだよ。頑張ったんだもんね。不器用なのにさ。一筋に、一生懸命に。よちよち」と言っている映画だ。
ソレを読みとれるかどうかが評価の分かれ道。
ワシ的にはパス。
「なめんじゃねーぞ。オラ!(と、言いつつ地獄突きをカマス)」であった。

コイツらはワシの敵じゃ。