山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

女性の年のとり方は難しい?

ナント、お誕生日が目前。
いよいよ40の大台である。

自分の人生、40になった時のコトなんて考えたこともナカッタ(特に少女時代)
中学生時代のワシの想像としては、「ナニひとつ満足に出来ない(仕事も趣味も)」ままに
「たいして好きでもない男と結婚」して、「すごーく生活に疲れた専業主婦」になって、
「子供を虐待しながら育てる」
・・・というのが「あり得る地獄の未来予想図」なカンジだったワケだが、
幸いにして、その「地獄の予想」はチト外れた。
いや、「生活に疲れた専業主婦」は当たっているかぁ?(爆)

こんな「粗暴な性格でワシは大丈夫なんだろうか?」
と思春期に悩んだ時期もあったが(一瞬ね、ホンの一瞬)、
いざ、大人になってオバサンになってみれば、実のところ、
「40になるワシ」は、とりあえず社会的にも年相応の分別や常識を身にまとってはいるのだが、
このオバサンの薄皮一枚下にちゃーんと相変わらず
「粗暴な性格のパンク少女」がいるのだ。笑っちゃうね。ははは!

中学生の時に考えた「40になったワシ像」は、フツーの小太りのおばさんいで、
いっちょまえの口ききながら、「もう、最近の若い子はダメね」なんて言っちゃってっさ、
「ごくフツーの大人」になってて、自分が今、感じている孤独感や絶望感なんて
キレイサッパリ忘れちゃって、自分の子供をコントロールすることにだけ血道をあげる。
そんな「普通の母親」になっているんだろうな。と、思っていたのだ。

でも、違ったぞ現実は。笑っちゃうくらいに、違った。
今は年をとることが素敵なコトだとわかったのだ。

年をとって、肉体は老いても、心は「決して老いていかない」ってわかった。
どんなにシワシワのおばあちゃんになっても、時々ワシの心の中で、
笑って顔を覗かせては様々な意見を口にして、批評してゆくのはいつも
「粗暴な性格のパンク少女」なのだ。
それがもうわかっちゃったから、年をとるごとにワシは自由になっていったのだ。
年をとるのが苦痛では無くなったってコト。

女性で「この人は年のとり方大失敗してるー」という人を「よく」見る。
(小シワ顔で「え?私、いつまでも子供で大人になりきれなくて?」
とイケシャアシャアと言うタイプ)
ワシが20代の後半の頃、一番怖かったのが、自分もこんな風になるのではナイか??
というコトだった。
とりあえず、ソレだけは避けられたようだ。
ヨカッタヨカッタ。