山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

よっちゃんの文章で大泣き

朝から、よっちゃんのHPで号泣。
もう、脱力してしまうくらいに泣いてしまった。
でも、泣いた後にはスッキリとココロの垢が洗い落とされて、とても心地よい。
詳しくはよっちゃんの「my family」(リンクページから行けます)の「Shikoku Inu YAMATO」のコーナー「りゅうとの思い出」にて。
泣いて。

でも、インターネットの効用って色々ある・・・

始める前は「個人の日記や文章、写真なんかを公開するなんて正気の沙汰じゃナイわね」
くらいにしか思っていなかったけれど、実際に始めてみれば、そこにはただ、
「新しい道具の一つにしか過ぎない世界」が広がっていたのが意外だった。
デンワやファックス、ラジオ、テレビと同じ。
実際にニンゲンが使いこなせば、そこには暖かな交流も生まれてくる、便利なモノ。

「インターネットは架空の世界だし、実際のニンゲンのおつきあいとは違う!」
とよく言われるけど、「それは違う」とワシは思う。

テレビや電話、文章なんかでも隠そうとしても
「ついつい顔出す個人の本性」みたいな瞬間があるが、
インターネットはもっと顕著。
ひょっとしたら、個人のパーソナリティをそのまま映し出す鏡のようなモノかもしれない。

実生活では、性別や肩書き、社会的地位なんかのヴェールに覆われていて、
見えにくくなっている個人のキャラクターがあからさまになっちゃう世界だ。

今の世界は、なかなかヒトと知り合うチャンスも限られているし、
食べるために、日常を運営してゆくために時間を費やしているヒトがほとんどだから、
行動範囲も限られる。

でも、インターネットの世界では性別年齢関係なしに、平等にチャンスは与えられる。
一介の「路傍の主婦」(つまりワシ)でも、言いたいコト言える。
ソレを読んでくれるヒトがいる。(ここんトコロに一番ビックリ!)

しかも、「書く」という行為は自分の考えを対象化してくれるので
「ココロの整理整頓」に役立つのだ。

よっちゃんが書いた「りゅうとの思い出」の「第四章」はまさに、
書くことによってよっちゃん自信も自分の過去に決着をつけ、
過去の悲しい記憶を乗り越えようとする姿が美しく、読んだヒトに
「生きるのは素晴らしい」と前向きな気持ちにさせてくれるので、アリガタイのだ。

「自分自身を救済し、読んだヒトも元気づける文章」
こんな美しいハナシは、実際に本屋に並んで流通している本にもなかなか載っていないぞ。