山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

大叔父物語

昨日、「浮草物語」(小津安二郎の戦前の名作映画)を観ていて、フト思い出した話。

もう、75年ばかし前のこと。
父方の大叔父(ワシのじーさんの末の弟・90歳健在)がまだ、
(旧制)中学生で少年だった頃のこと。

なんか天気が良くて気持ちが良いので、田んぼの中の道を
大声で唄って歩いていましたトサ。

♪いのお?ち、みじいかぁあしいぃ?、恋せよぉ、お?とめぇ??♪とね。
(ゴンドラの唄)

フト、前を見やると長兄(つまり、ワシの祖父)が着物の裾をバタバタはためかせて
爆走して来る。
「?」と不思議に思いつつ、立ち止まると長兄は末弟に向かってこう言った。

「バカモン!そんな流行歌なんぞ男が歌うモンではナイ!!」とね。
弟はビックリして兄に聞いた。
「じゃあ、ナニを歌えばいいのでしょうか?」
兄はこう答えた。
「うん、国歌なら良し」

なんか、スゴイ話だけど実話。しかも、コレには後日談がある。

末弟は長じて小学校の先生となる。
そして、コップ一杯のビールで程良く酔っぱらい(下戸の一族)、
歌う歌はいつもコレ。
「フランス国歌=ラ・マルセイエーズ」(爆)←しかもフランス語(再爆)

祖父とこの大叔父は年が18も違っていて、「ほとんど親子」だったらしい。
もう、50年以上も前に亡くなった祖父の面影が彼によって語られる時、
私は幸せな気持ちになる。

私は祖父に会うことがなかったが、この大叔父を通して祖父に会っている気がする。
数年前に親戚に結婚式があり、私は招待されなかったので披露宴の様子を両親に聞いた。
「ねえねえ、K叔父さん(と大叔父を呼んでいる)『ラ・マルセイエーズ』歌った?」
「ああ、歌った歌った。相変わらず死ぬほど音痴だった。恥ずかしかった」
なんか、すごーく嬉しくなったぞ。

若いときの祖父や祖母の有り様を語るヒトも年々少なくなってくる。
でも、時々伝え聞くそのエピソードの数々はなかなかリアルな手応えを持っていて、
単なる「伝説」以上の感慨を私に与えてくれる。

K叔父さんいつまでもお元気で。
また、叔父さんの「ラ・マルセイエーズ」聴かせてね。

でも、何故「君が代」ではなく、「ラ・マルセイエーズ」?
もしかしたら、戦争をすごーく悔やんで恨んでいるのかも?
(そーいえば、教師でありながら、戦地にもいってるし・・・)

深読みしようと思えば、ナンボでも深読みできる彼の行動である。