山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

虐待母にひとこと・・・

実に、「お休みらしい」日曜日。
夕べの残りご飯を焼きおにぎりにして、目玉焼きにソーセイジ、サラダ。コーヒー。子供達にはホットミルク。ウィークデイにはとても出来ない朝ご飯。

しみじみおいしくってシアワセ。上の娘、久しぶりに好物の焼きおにぎり登場で大喜び。
下の娘、梅干しをむさぼり喰う。こら、梅干しばっかり食べるな。(高いねんぞ、これ)

朝刊を見ると、「母の5人に一人が虐待を経験」とある。
う??む。たしかに、良く聞く話だ。身近に見たことも、聞いたこともある。
「自身が葛藤の多い、不幸な家庭に育つと、虐待してしまう傾向にある」と書いてある。
「自分は、母親に向いていないと感じている母親も多い」とも。

ううう??ん。どうだろう?
ワシ自身幸福な子供時代を送ったワケではない。
だから、自身が子供を持つという事に対して否定的だったし、ダンナも両親の離婚を経験しているので、二人とも積極的には「子供を持つ」という事を考えていなかった。

しかし、「人生は思いがけない事の連続」でこーして二人の母となってしまった。
で、結論はどーだろ?
「ワシは案外子育てに向いておった」ナ・ン・ト・・・

実の所、「我が子を虐待するか・しないか」の境目は、自身の虐待された過去を、どれだけ大人になった現在、客観視できるかにかかっているような気がする。
やはりこれは、いつかは乗り越えなければならないモンダイで。しかも、親を殺したところで何の解決にもなりゃしない。実に腹立たしく、辛い過去だが、次世代に伝えてはならない事だから。
どこかで、循環の輪を断ち切らねばならない。(虐待は世代間を循環しがち)

新聞には「子供を産まなきゃ良かった」と思ってる人が多い。
とも書いてあった。ひええぇぇえぇ・・・

だって、子供はあんたの持ち物でも所有物でもないんだぜ。
一個の自立した、「別人格の人間」だぞ。
どーして、子供産んでまで判らない?
(あなたを通って生まれてくるが、アナタのモノでもアナタでもナイ)
自分だけが不幸なのが許せない?(自分が可愛い、可哀相?どっち?両方?)
子供が自分と同じように不幸になればあなたはシアワセ?
(泣いてる子の顔は君に満足を与えてくれる?)
子供を自分の支配下におけば、自分の人生をコントロールできたような気がして満足?(自分の人生もコントロール出来ないのにね)

いつまでも被害者面さげてんじゃねえぞおぉ!!